あの3・11の東日本大震災を3・10の東京大空襲(昭和20・3・10)と連動して印象付ける年配の人も多いことと思う。花金の大震災の夜、飲み会や約束事の入っていた人は、曜日としての記憶も鮮明だろう。私たちは日時・曜日で記録を残し、またそれで予定を立てている。1年を52周で仕切る「週(7曜)」は、定例・定期ものには欠かせない存在だ。学校をはじめマスコミでも官公庁でも「週」を活用している▼人類は古く、恒星と異なる変則的運動をする5星(水・金・火・木・土星)と日・月とを身近なものとして「7曜」を作ったといわれる。陰陽五行説の木・火・土・金・水を連想するが、こちらは万物の変転に関わる5元素のこと▼「七曜」は、エジプトの占星術から始まり、キリスト教団が暦に採りいれ、平安初期にシルクロード経由、唐から空海により日本に伝えられたという。その証左に、平安中期の関白藤原道長の日記「御堂関白記」には「日十一庚寅…」というように、日付の頭に曜日(日)が記されている▼北朝鮮、中国の軍事的動向など国際情勢が予断を許さない中、国会は曜かず、「国民の皆さん」をお題目にただただ空転する体たらく。このもどかしさを如何せん。(洋)
火の見やぐら
火の見やぐら
毎日新聞がさきごろ、二面見開きで福島第一原発を取上げていた。原子力発電には素人である一般人が読んでも、崩壊した原発の処理がいかに困難であるかが理解できる。だから一層、本当に処理が出来るのかと心配になってくる▼廃炉することになっている福島の四基の原子炉は、メルトダウンした核燃料が、未だ手つかずの状態だ。炉内の核燃料以外にも、使用済み核燃料が残されているが、これも同様に手がつけられないでいる。政府はいかにも安定状態に入ったかのような声明をだしているが、そんな安心の出来る状態には程遠い。使用済核燃料の処理も出来ないままに、電力需要の観点から原発の再開を図っているようだが、つけは全て後世に残して、当面を繕おうとしているようにしか見えない▼一基の原発の廃炉に四十年かかると言われているが、国内にある原発全てを廃止するにしても、使用済み核燃料の処分は未解決のままだ▼今回の事故で、人が住むことができない地域ができ、戻れる見通しは全くない。もし第二、第三の原発事故が起きれば、日本の国家としての存立は危うい。一国のリーダーには、子孫につけを残さないこと、将来を見据えた定見と強い意志が求められている。 (M)
火の見やぐら
虫が這い出るといわれる啓蟄(けいちつ)を過ぎて10数日。曼珠沙華の濃緑色の葉が菜種梅雨の寒空を仰ぐ今年の彼岸の入りの二日目。「暑いも寒いも彼岸まで」といわれるが、春の彼岸の方が早いので、「寒い暑いも彼岸まで」といい直したいところ▼午前中、墓参りに出かけたとき。「あれ、なにかしら」。墓所の石塀に沿った砂利道で、妻が路上に何かを見つけた。茶っぽい固まりが道の中央に見える。ガマガエルだった。つま先で触るがピクリともしない。後ろ足近くに鮮明な車のタイヤ痕がある。しかし、一見無傷に見える。ガマはよく死んだふり(擬態)をする。ティッシュペーパーをかぶせて体を触ってみる。発達した筋肉の感触が返ってくるが、持ち上げても全く反応が無い▼偶然だが今朝、エッセイスト菅野徹氏の朝刊寄稿を読んでいた。「3月1日の朝方、この春初めてヒキガエルの声を聞いた。庭にある小さなプラスチックの池で…」ピョウ、ピョウと優しく鳴くという▼ガマはヒキガエルともいう。菅野氏の聞いたように、このガマ君も冬眠から目覚め穴から這いだしてすぐ、優しく鳴いたのだろうか。遺体を石塀に寄せ、ティッシュを被せ、祖霊より一足早く…祈った次第である。(洋)
火の見やぐら
「生政治(バイオ・ポリティクス)」という言葉がある。フランスの思想家フーコーが始まりのようだ。市民生活の至る所に政治的な力が入り込んでいるとする捉え方を言う▼例えば「人間」の定義。旧約聖書において動物全体を支配する存在として位置づけられていた人間。近代になって他の動物と類似の身体的機能を有すると判明してくると、再び他の動物との差異を見出そうとした。ところが、二足歩行し、手(前足)を上手に使いこなすチンパンジー。言葉に似た信号を操るイルカ。群れをなし役割分担するサル。人間特有とされる身体的特徴にしても、機能的特徴にしても、社会学的特徴にしても、他の動物に無いと言い得ないことが判明してきた▼「ヒューマニズム」という概念もまた、動物との差別意識の中から生まれた。しかし、第二次世界大戦はそんな概念を吹き飛ばした。強制収容所の経験は、「人間と非人間とを弁別する可能性そのものを破局へと巻き込んでいく」とアガンベンは「開かれ」(平凡社)の中で書いている。動物と人間とを分けようとする一見科学的に見える作業に、政治的な力が働きうることは、ナチスドイツのユダヤ人に対する定義づけを見れば一目瞭然だ。 (蟻)




