昭和・私の生きた時代 52 高橋玄洋

2012年2月19日 この記事をnewsing it!へ追加 Yahoo!ブックマークに登録 この記事をlivedoorクリップに登録  印刷する 印刷する

上京の頃
 誰の世話だったか、杉並区成宗の素人下宿が私の最初の住家となった。中央線阿佐ヶ谷と荻窪のほぼ中間、青梅街道から南に1丁ほど入った住宅地でやや広い庭に囲まれた平屋の日本家屋だった。この一角は戦災を免れて古い家が多く、裏へ出ると田圃が広がって、遙かに近衛文麿の荻外荘の森が望める静かさである。夏の夜には蛙の声がよく聞こえた。
 下宿用に作られた家ではないので、間仕切りはみな襖である。母子家庭の家族が3人に下宿の学生が4人の至って家庭的な雰囲気で、庭や縁側の日溜りで喋ることも多かった。
 ただ私の部屋だけは風呂場と脱衣場を改造した4畳ほどの板間で、急造だから敷居や段差があったりした。外から見ると風呂の焚口がそのまま残っている。それでも個室の生活は初めてだから十分に幸せだった。ラジオも座敷に1つ、新聞も回し読み、たばこのピースも一箱買ってきて皆で分けた。学生たちは暇さえあれば麻雀をやったが、私がメンバーに加えられることはなかった。皆プロ級で初心者の入る余地などなかったのである。ただ誰かが大勝ちするとおこぼれに預かって、喫茶店へ出かけたりした。